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「この日しか無理なんです」
そう言われて、私はつい予定を調整してしまいました。
本当は休みの日だったのに、会議や訪問がぽつぽつと入って、気がつけば一週間、日曜以外まるまる働いていたのです。
たった一人に合わせただけのつもりが、どうしてこんなに疲れているんだろう?
そう考えていくうちに、「断れなかった私」が、少しずつ自分の時間を手放していたことに気がつきました。
1. 私には“休み”と決めた曜日がある
第1・3・5水曜は午後休み、第2・4水曜はまるっとお休み──
一人事業所ですが、営業日と休日はきちんと決めて仕事をしています。
けれど、世間は平日。
「どうしてもこの日のこの時間しか空いていない」と言われることが、しばしばあります。
そんなとき、相手の都合に合わせて、私が他の日で休みを取ればなんとかなる。
そう思って、特に負担とは感じずに“例外対応”をしてきました。
でも、例外って、不思議と重なるものですね。
気がつけば、今月は水曜日の休みがすべて予定で埋まり、
「ちゃんと休める日」が日曜日しかないという状態になっていました。
隙間のないスケジュール帳を眺めて、ふと、ため息がもれたのです。
2. 「この日しか無理」を飲み込んだ結果、どうなったか
あれよあれよという間に、会議や訪問、連絡の調整などの予定がぽつぽつと入り、
気がつけば、水曜日にはなにかしら“仕事”が入っている状態になっていました。
頭の中は常に「次の予定」のことでいっぱい。
気持ちにゆとりが持てず、休みの日にも、どこか落ち着かない自分がいます。
それだけではありません。
本当はやりたかったこと──ブログを書いたり、自分の内側に向き合って考えをまとめたり、
ひとりでのんびり筋トレや焚き火をする時間──
そういう“自分を回復させる時間”がどんどん後回しになっていったのです。
もちろん、予定を引き受けたのは自分。
相手を責めることはできません。
でもそのぶん、自分の時間をうまく管理できなかったことに対する自己嫌悪が、じわじわと押し寄せてきます。
そのうちに、こんな思考のループにハマっていきました。
「なんで私ばっかりが要求をのまないといけないんだろう」
「損してるのって、いつも私じゃない?」
そうやって自己嫌悪と自己憐憫が入り混じった“ぐるぐる思考”に陥ると、
さらに気持ちの余裕がなくなり、予定に追われる日々がますます苦しくなっていくのです。
3. なぜ断れなかったのか?本音は「めんどくさい」だった
「この日は休みなので、別の日はいかがでしょう?」
そう言えばよかったのでは? 本当に断れなかったのか?
ぐるぐると自問自答を繰り返すうちに、私ははっきり気づきました。
「これ以上、調整するのがめんどくさかった」のだと。
別の日を提案して、その可否を確認して、やりとりを繰り返して──
それらすべてが、もう頭に重たくのしかかっていて、
正直に言えば、ただ「はい、いいですよ」と返す方がずっと楽だったのです。
この「めんどくさい」は、実はとても厄介な考え方です。
“他の可能性を検討すること”すら放棄してしまうこの感覚は、
実はもう脳が疲れている、オーバーワーク状態のサインなのだと思います。
そして怖いのは、
「特別対応は続く」「時間が削られていく」
──そう分かっていても、心の中でまたこうつぶやいてしまうのです。
「まあ、もういいや。めんどくさいから」
それはつまり、
自分の時間や、自分自身を守ることを、静かにあきらめてしまうことでもあるのです。
4. 実はタイムマネジメントは難しい
──タイムマネジメントの良し悪しは、心の健康のバロメーターかもしれない
自分の予定を自分で決めること。
そして、決めた予定やタスクを、予定通りにこなしていくこと。
これは一見、当たり前のように見えるかもしれませんが、
実はとても高度な生活スキルなのかもしれない、と最近思うようになりました。
ひとりで立てた予定ですら、
「気分がのらない」「疲れてできなかった」「他の用事が入った」などの理由で、
変更したり、中止したりすることはよくあることです。
それなのに、人と予定を合わせ、調整しながらタスクを実行するというのは──
心も体も、ある程度健やかでないとできないことなのだと感じるようになりました。
私自身、ソーシャルワーカーとして長年働いてきて、
相手の都合に「合わせて」訪問を入れたり、
複数の関係機関と日程調整をして会議を組んだりすることを、
「仕事だから」と当然のようにやってきました。
けれど、改めて思うのです。
その「当たり前」も、自分の調子が整っていなければ成立しないのだと。
現場ではよくあることですが、
「ドタキャン」や「約束を守れない」というケースに出会うことも多くあります。
でも、それは“怠け”ではなく、
その人の心と体が、今はまだ整っていないというサインでもあります。
訪問や面接を予定通りに繰り返せるようになってきたとき、
「最近、約束守れるようになってきたね」
「予定どおりに会えたね」
──そんな風に一緒に振り返ることがあります。
それは、その人の“元気度”がひとつ上がったサインでもあるのです。
そして、これはきっと私にも言えることでした。
「予定を組むのがめんどくさい」
「この日しか無理なら、もういいか」
──そんなふうに思考停止して、
休日にまで仕事を入れ始めていたのは、
もしかすると私の“心の元気度”がちょっと下がっていたサインだったのかもしれません。
タイムマネジメントがうまくいかないとき。
それは「怠けてる」のではなく、
「ちょっと疲れているのかも?」と気づくきっかけにしてみてください。
5. 今後のために、私の「めんどくさい」への対処法
とはいえ、現場ではやっぱりあります。
「もう絶対にこの日の〇時しか空いてません」
──そんな“動かしようのない予定”が。
たくさんの関係機関、多忙な専門職たちと調整しながら仕事を進める中で、
「特別対応」は避けられない場面も多いのが現実です。
今月はその“特別”が重なりすぎて、スケジュールが真っ黒に…。
ため息まじりに予定表を見ながら、気づきました。
「特別対応をしたら、特別休暇もとろう」
来月は6月。
祝日が一日もない、名だたる“地獄の月”です(笑)
だからこそ、あらかじめ「自分休」の日を設定することにしました。
旅に出るわけでもなく、イベントがあるわけでもない。
でも、「この日は休み」と自分で決められること自体が、健康の第一歩なのだと思います。
それは、自分の暮らしの主導権を自分に取り戻すこと。
そして、「めんどくさい」が顔を出す前に、
自分を守る準備をしておくこと。
これからは、そんなふうに自分と向き合っていけたら──
ちょっとしたスケジュールの工夫が、
心の回復にもつながる気がしています。
6. まとめ:予定表に“休み”と書いたら、それを守る勇気も必要
予定表に「休み」と書いても、それは自動的に守られるものではありません。
誰かが代わりに守ってくれるわけでもなく、
スケジュールの空白は、いつの間にか“他人の都合”で埋まってしまうものです。
だからこそ、
「この日は私の時間です」と、自分で線を引く勇気が必要なのだと思います。
予定を断ること。
別日を提案すること。
「めんどくさい」と思う自分に気づくこと。
それらはすべて、自分の調子を守るセルフケアの一部です。
「特別対応をしたら、特別休暇もとる」
「旅に行かなくても、予定のない休みをとる」
そんな小さなルールをつくるだけで、
少しずつ暮らしに呼吸の余白が戻ってくる気がしています。
自分の予定を、自分で守れること。
それは、静かだけど確かな「元気」の証でもあるのです。
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