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気まぐれと思いつきで始まった歩き遍路。はじまりの始まり。
四国八十八ヶ所霊場をめぐる旅──
私が最初にその道を歩いたのは、実はほんの気まぐれからでした。
もともとはマイカー遍路。
8年ほど中断していた巡礼を、2022年のゴールデンウィークに再開しました。
コロナ禍の閉塞感の中でも、どこかへ行きたい、日常から一歩離れたい。
「人が少ないお寺めぐりなら、安心して旅ができるかもしれない」
そう考えて、高知県の37番札所からハンドルを握りました。
*三年後の2025年にはここも歩いています。▶37番岩本寺からの遍路記事はこちら
けれど2023年のある日、愛媛を巡っていた私はふと気づきます。
「このあたり、お寺の間が近い。車じゃなくても歩けそうだな」と。
ほんの数キロ、泊まる予定の宿に車を置いて、48番から51番までを歩いたのです。
それが私の“歩き遍路”との最初の出会いでした。
歩いてみると、道には見逃していた世界がありました。
道端に描かれた、素朴でかわいらしいお遍路さんのマーク。
地元の方が引いた線。
「ナスカの地上絵」ならぬ「助かる地上絵」。



“この道しるべであなたをお寺まで導くよ。もう迷わせない。”と語りかけてくるようでした。
そうか──
お遍路はお寺をめぐる旅であると同時に、**「道そのものを歩く旅」**なんだ。
愛媛の巡礼から帰ってきて私は思いました。
「残っている香川一国は、今度は歩いて巡ってみよう」と。
【出発準備編】「歩き始める前に決めた“ゆるマイルール”」
香川一国を歩こうと決めた私でしたが、
さすがにいきなり標高900メートル超の「雲辺寺」から歩き遍路デビューする勇気はありませんでした。
▶雲辺寺について。観音寺市のHPより。
第66番札所・雲辺寺は、八十八か所霊場の中でも最も高所に位置する難所。
登山経験もない私にはハードルが高く、ここは迷わずマイカーで巡礼し、
実際の歩き遍路スタートは「観音寺駅」からに設定しました。
歩き遍路の“妄想シミュレーション”はYouTubeで
出発までの間、何度も見返していたのが
元火葬場職員・下駄華緒(げたはなお)さんが運営しているYouTubeチャンネル、
**「下駄のチャンネル」**でした。
*2025年5月末現在、下駄さんは2巡目の歩き遍路をされています。その様子はxでポストされていました。
遍路といえば修行、苦行、ストイックな世界──
そんな思い込みを優しく溶かしてくれたのが、
彼の「歩くことに執着しない遍路スタイル」でした。
実際に下駄さんは「お車接待」(親切な地元の方が車で次のお寺まで送ってくださる好意)も柔軟に受け入れておられ、
私はそこでハッとしたのです。
「あ、完璧に歩き通さなくても、遍路は成立するんだ」
そのとき、私は**自分なりの“ゆるマイルール”**を決めました。
「基本的には歩くけれど、どうしても無理ならバスや列車を使う。それでいい。」
モデルプランはこの一冊から
竹本修さんの著書「中高年のための四国八十八か所歩き遍路50日モデルプラン」
体力や日程、宿泊費の現実を考えながらペース配分ができる構成で、
「一気に歩かず“区切り打ち”でもいい」と具体的なスケジュールが示されており、
初めての遍路を後押ししてくれる心強い一冊でした。
元自衛官の竹本さんですが、体をいたわりながら体力の衰えを感じる中高年でも「リタイアしないための」アイデアや旅程の組み方をたくさん提案してくれています。
お寺の周辺情報や道の確認の1冊
空海の史跡を訪ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 一般社団法人 遍路道保存協力会編集
縮尺や方角が統一されていないので見づらい半面、本当に地元や遍路道に詳しい人が情報収集、編集をしているのが分かる貴重な1冊です。

私も現在はこのように書き込んだり、付箋を貼るなどして活用しています。特に区切り打ちの場合は打ち止めた場所までの移動手段、時間から次の歩きの予定を立てるのに役立ちます。この地図に書き込むころで世界に一つの「私の歩き遍路ログマップ」ができるとああ、ここまで歩いたんだなと感慨深く、次はどんな 予定にしよう、と考えるのが楽しくなりました。
最初の遍路リュックは「娘の通学用リュック」だった
背負ったリュックの思い出は…
歩くぐらい、なんとかなるだろう──
当時の私は、歩き遍路を少し軽く見ていたところがありました。
だから荷物を入れるリュックも、わざわざ新調せず、家にあるもので済ませようと決めていました。
目に留まったのは、娘の通学用に買った大きなリュック。教科書や参考書がたくさん入るように選んだ、容量の大きなタイプです。
けれどこのリュックには、少しだけ苦い記憶があります。
娘は県内でも進学校といわれる高校に進学しましたが、1年生の2学期から学校に行けなくなってしまいました。
結局、そのリュックはほとんど使われることなく、クローゼットの奥に眠っていたのです。
この時は「ちょうどいいサイズのリュック、家にあったよね」くらいの軽い気持ちでした。
でも今振り返ってみると、あのリュックを背負って道を歩いたのは──
学校に行けなくなった娘の悔しさや、当時の自分のもどかしい気持ちを、一緒に背負い直す旅でもあったのかもしれません。
もちろん、後づけのこじつけだと言われればそれまでです。
でも歩くという時間は、とても静かで、心の奥の感情を丁寧にほぐしてくれます。
気づけば私は、「誰かの供養」ではなく、「過去の自分の供養」をしていたのかもしれない──
そう思えるほどに、あのリュックには重みがありました。

当時の遍路荷物。今よりは無駄なものも余計なものもいろんな意味で「詰まっていた」荷物です。
ゆる歩き遍路、はじまりの一歩
そんなわけで、準備万端とはとても言えないまま──
いえ、むしろ「見切り発車」と言ったほうがしっくりくる状態で、私の**“ゆる歩き遍路・香川編”**は静かに始まりました。
果たして、本当に歩けるのか?
どこまで行けるのか?
そして、この旅が私に何を見せてくれるのか──
実際に歩いてみた香川遍路のあれこれは、また次回。
どうぞ気長にお付き合いください。
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