今回は、ちょっとテーマがいつもと違います。
節約や筋トレの話ではないけれど、「歩き遍路」という体験を通して、自分の中にあった“こわさ”と向き合い、ちょっとだけ乗り越えられた──そんな小さな挑戦の記録です。
キーワードは「高い橋」と「リュック」、そして、言葉が通じなくても伝わったやさしさ。
よかったら、読んでみてください。
私にとって最大の難所は山道ではなく“高い橋”でした
四国八十八か所霊場第35番から第36番に向かう途中にかかる宇佐大橋。全長645メートル、海面からは約20メートルの高さがあります。

実は私は高所恐怖症。この橋を渡らなければ次のお寺に行けないことはわかっているけれど、足がすくみます。どうしても渡れなかったらここだけバスやタクシーを利用しようかとも考えていました。山越えの急こう配の道を「遍路転がし」と称して歩き遍路道の難所として表現することがあります。これまでいくつかの難所は日々の筋トレや食事での体力作りで乗り越えてきましたが、このような「高所」が私にとっては転がされるよりも難所です。
橋のたもとで逡巡していると…
宇佐大橋を渡るかどうしようか決めかねていたところに一人のお遍路さんが通りかかりました。
そうだ!この人の後をついて行って背中のリュックを見ていたらなんとか渡れるかもしれない。とっさにそう思いついた私はその方の後をついていきました。
しかし。
橋の一番上に来たところで記念写真を撮影し始めたその方が「お先にどうぞ」とジェスチャーするではありませんか!
一番高いところで話しかけられて怖いなと思い必死でお願いしました。
「すみません。私はこの高い橋が怖いので、私の前を歩いてください。リュックを見ているとたぶん歩けるのでお願いできませんか?」
「・・・。」日本語が通じない。見た目はアジア系で日本人と変わらないのですが、外国から来た方でした。
「I can’t understand Japanese. Can you speak English?」と…。
私も英語は中学生並みにしかしゃべれない。焦りながら身振り手振りで
「I Afraid the high bridge. Please walk front me!I look yuor rucksack(あってるのかこの英語?)」
こう伝えると何とか伝わったようで前を歩いてくれました。
2度目の橋渡り、一人で渡ると決めたこと
これで高所の緊張が取れたのか、リュックを見ながら落ちついて橋を渡ることができました。第36番に参拝した後、次のお寺や今夜の宿に向かうには「うち戻り」といい、もう一度この橋を渡らなければなりません。
それも心配してくれて
「I stay around here. I don’t cross the bridge. Can you cross the bridge?」「僕は(橋を渡った側のたもと)この辺りに宿をとっているから、帰りは渡ってあげられないけど、大丈夫ですか?」と尋ねられました。
見栄を張ったわけでも遠慮したわけでもないのですが、一度渡れたと成功体験をしたので帰りは一人でも大丈夫だとなぜか根拠のない自信がわいてきて
「Perhaps,I can walk!」(たぶん、だいじょうぶ!)と言ってしまいました。そして不思議と渡る前ほど恐怖を感じすに一人で渡ることができました。
冒頭の写真の宇佐大橋は次の日に巡行船から撮影したものですが、この橋を往復したんだなあと感慨深く眺めたことでした。改めて見返すと結構な高さです。あそこを歩いたんだと思うとやっぱりゾッとしますが…。
その後の再会:民宿や道の駅での出会いとやさしさ
歩き遍路は歩くルートが決まっていることや進むペース、宿場が限られていることもあって、一度出会うとその後数日、度々出会うことがあります。このお遍路さんともこの後も何度も出会います。次の日の巡行船でも実は一緒でした。途中の道の駅でもばったり出会いました。4日目、私の今回の旅の最終夜には同じ民宿に泊まっていました。人のご縁とは不思議なものです。
宿でも「Is there anything I can help you with?(なにか手伝いましょうか?)」と声をかけてくださいました。母国で遍路をしている私の方が教えてあげることがたくさんありそうなのに、私がずっとこの方に助けられていました。
その方はの後も旅を続けて第75番善通寺まで行かれるそうです。なぜかはわかりませんでしたが、75番から88番までは参拝しているらしく、今回、75番まで行くと一周するのだと話されていました。(私の英語力でようやくわかった情報です)
結び:四万十大橋の再チャレンジと、今の自分
最終日の四万十大橋では残念ながらこの方とはご一緒できませんでした。高くて距離も長いので途中で足がすくんでしゃがみこんだのですが、なんとか渡りきれました。これも最初に一緒に渡ってくださって私に「大丈夫体験」をさせてくれたこのお遍路さんのお陰です。

四万十川にかかる四万十大橋。初日にわたった宇佐大橋よりも大きくて長い。
遠い国から「歩き遍路」にくる外国人がたくさんいます。なぜわざわざ?と不思議に思うのですが、国や文化や宗教を超えた魅力がこの旅にはあるようです。つたない英語とジェスチャーで少ししかやりとりできませんでしたが、私の「高いところが怖い」という困り感はちゃんと伝わって手助けしてくださいました。私もこのお遍路さんの優しさを感じることができました。
「歩き遍路」というある意味過酷な体験を共有することで生まれる「一体感」みたいなものがそれぞれのお遍路さんに生まれるのか道程が同じ人とは自然と仲良くなります。現代社会で学校や職場を共にする人たちとはまた違った関係で遍路旅ならではの体験です。その後の人生で再び会うことはないかもしれないけれどもこの時の出会いは一生覚えているような気がします。
これが私の「リュックについていったら、二つの壁を越えていた」という話です。
一つは高い橋。もう一つは言葉の壁。
どちらも、自分ひとりでは超えられなかったかもしれないけれど、誰かのやさしさと、ちょっとの勇気があれば越えられる──そんな体験をした、遍路の旅の一幕でした。
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